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▲ラトビアの文化
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歌謡祭

5年ごとにラトヴィアの全地域から何万人もの歌手と何十万人に及ぶ観客がアリーナに集う歌謡祭

 最初の一般的なラトビア歌謡祭は、1873年にリーガで行われた。歌謡祭は統一国家の将来を信じ、人々の創造的な気運を表すために、ラトビア各地から集まるという永続した伝統の始まりであった。歌謡祭の構想は無情にも手を加えられることはあっても、歌謡祭の伝統がソビエト当局において破壊されることはなかった。この間、10回の祭典は、権力者や精神的圧制に対しての抗議を表していた。ラトビアは音楽を通してのみ、自分たちを表現することが許されていた。1990年の第20回祭典は3度目の目覚めのピークとなり、独立への気運の高まりの中で行われた。21回(1993年)、22回(1998年)は独立した中で再び祝われた。
 ラトビアの様々な色鮮やかな民族衣装は、歌謡祭と舞踊祭で見られる。ラトビア農民は17世紀から19世紀にかけて、それぞれの地域の土地と強く結びつき、暮らしていた。必要なもの全ては、その地域の資源によって賄っていた。このことは、作り方、デザイン、装飾品、自然による色の相違を生み出した。全ての地域には、はっきりと異なった民族衣装がある。