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鉄道

 ダウガヴァ川にかかる鉄橋は1914年に完成した。その鉄橋は10本の橋げたによって支えられている。川の右岸に近いバスバーは、船が運航できるように、可動橋として稼働していた。橋は第1次大戦中に破壊され、川の中へ崩れ落ちてしまったが、戦後、修復された。新しい橋は第2次大戦まで活躍したが、今度は橋も橋げたも破壊されてしまった。新しい橋の建設は1944年末には既に始まっていた。木製の仮橋が最初に架けられ、鉄橋が完成したのは1951年だった。
 リーガ中央駅の内装は、そこに隣接する広場とともに、現在改築中である。ラトビアで、リーガの商人たちは最も積極的な鉄道建設の支援者だった。
 現在、物資の積み換え輸送は最も重要である。年間の積み換え能力を6000万トンに増加させる計画がある。旅客輸送能力は年間2500万人であるが、そのうち3%は国際線によるものである。鉄道は地方輸送の重要なカギを握っている。
 狭い規格幅の鉄道敷設は、数百年前、皇帝の統治期間に始まった。レール幅は650mm〜750mmの間であった。ラトビア人たちは違った規格が、隣接する民族との間に戦争が起こった場合、敵が侵入するのを防ぐ手段であるとよく冗談を言った。第2次大戦まで、狭い規格幅の鉄道はマズバーニーティス(小さく古い汽車)とあだ名されていたが、ラトビアのほとんど全ての大都市を結んでいた。また、終戦後は、旅客と貨物の重要な輸送手段でもあった。
 現在では、小さな機関車がアルークスネとクルベネを結ぶ狭い規格幅の線路を、車両を引っ張って運行しているのみである。かつて、蒸気機関車に給水するための貯水塔のようなものは、どこの地方にも見られたものである。マズバーニーティスは輸送手段である以上に、ライフスタイルそのものであり、一種の宗教のようでもある。もし、老朽化したエンジンや貨車、路線の保守に予算が回されなくなったら、美しく、色鮮やかなラトビアの歴史の1ページは、狭い規格幅の鉄道とともに、失われてしまうことになる。