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アーライシ湖城

 ツェ−スィスのカ−ル・シ−バス男爵は、1876年にア−ライシ湖の島に、昔の建築記念物があったという事実を知らされた。彼はその地区で、最初の考古学的発掘の指揮をとった。
2500平方メートルの4分の3が城になっていたことは、1965年から1969年と1975年から1979年の10シ−ズンの発掘で調査された。最初、湖の水位を1m程下げなければならなかった。考古学的地層を使ってダムが発掘遺跡の周りに造られ、モ−タ−ポンプで水を排出した。9世紀から10世紀にかけて、ここに住んでいたラトガレ人の島の城が発見された。居住と生産のための複合建築で、建物は要塞システムによって良く守られていた。ア−ライシ城は敵の軍に焼かれ、決して修復されなかった。その時の水位は、今より約1.5m低かった。木造建築の残りや有機物で作られた工芸品は、水の中で、よく保存されていた。
政府は1983年にア−ライシ湖城の再建を決定した。建物の下の部分は原形と同じように復元した。無くなっていた上の部分は、その場所で発見された破片をつなぎ合わせ、民族的な特色を考慮して、正確な構造で再建された。発見された古代の道具の模型(斧、丸のみ、格子状の石、こん棒)は、1990年以後、再建された中で使われた。ア−ライシ湖城は、バイキング時代における古代ラトガレ人の生活スタイルを見ることができる、ユニークな考古学野外博物館である。夏に湖上の城で、民間伝承グル−プの参加により、ハニ−フェスティバル(蜂蜜収穫祭)のような様々なイベントが行われる。